[琵琶読本] 姿勢

姿勢
 調子が合ったら次は弾き方であるが、順序としてその前に弾く時の姿勢について述べよう。
 座り方は正身端座、すなわち真面目に座るのである。かの殊更に肩ひじ張って後ろに反り返ったり、無理やりに猫背にしたりするのはよくないしまた非衛生的である。
 座っているのを仮に上から見て、自分の腹の平面と内股から膝頭までの線を丁字形と見る。その角度を半分するように琵琶を膝に乗せる。

琵琶の持ち方
 前から見て、琵琶を約四十度傾けて持つ。そして左手の親指と人差し指との股で支える。その指の股へ当てる琵琶の部分は鶴首であることはもちろんだが、その他の場合は、自分でいま弾こうとする手に用いる柱の少し上部に限る。すなわち中段を弾く場合は中段の柱の少し上部を、下段を弾く場合は下段の柱の少し上部を支えるのである。そしてこの際は手のひらが鶴首にピタリと着いてはいけない。必ず卵一個ぐらいは入る程度の空きを必要とする。もしこれだけの空きを作らない持ち方だと、四の弦を弾くときはなんでもないが、三の弦、二の弦などを弾く場合に、手の運用がはなはだ窮屈になる。しかしこれも習慣で、さのみ苦にしない人もあるが「冴え」すなわちサワリが早く痛むことは免れない。こうした構えは盲人に数えられた人に多く見受けるが、態度のよい人の姿勢を見て他山の石(※1)とする必要がある。
 撥を持つ方ー右手は極めて自由に使うようにする。この自由については自分勝手なことをするのを自由だと思っている人もあるようだが間違いである。自由と追従とは大なる差がある。撥使いについては後にまた述べよう。

※1)他山の石(たざんのいし) 他人の山から出た粗悪な石(転じて悪い見本)でも、己の修養の材料にすることはできるの意

崩れやすい姿勢
 姿勢は単に構えた時だけならば誰もができることであるが、いざ弾くとなると狂ってくる。それは初歩のあいだは琵琶を斜に上から見下したのでは弦がよく見えないので見当がつかない。そこで見たい見たいの一心から不知不織のうちに琵琶の向きが変わってくる。自分の首は段々前に出て、そして横から琵琶をのぞき込むようになり、背中は曲がって、まるでお婆さんが足袋の裏でも繕っているような形になる。こうなるとお互いに歩み寄って琵琶は右へ廻って股のあいだに落ち、腹と丁字形になる。自然と撥使いが変わってきて撥の先を立てて前の方へ弦を刎ねるようになる。したがって音は悪くなる。その上琵琶の腹板にあばたのような傷を付ける。このあばた傷は未熟時代の産物であって、一人前の腕の者には絶対に無いことである。

 また琵琶の胴を自分の腹にピタリと付けて弾く人もあるが、これは前のとは反対に身体が後方に反り返るようになる。そして自分の腹で琵琶の胴を押しつけているので響きが悪くなる。それにこの持ち方では撥を立てるか、撥の袖を使うかいずれかの撥使いになる。
 先を立てれば前に述べた通りの結果になるし、袖を使えば撥の方に傷がつく。その傷も並大抵のものではない。みなノコギリのような傷がつく。これは実にはなはだ醜態である。

 三味線を稽古しても、撥に傷を付けるうちは決して一人前の腕とは認めてくれない。しかし三味線と琵琶とは同日の論にあらずという人があるかも知れないが、決してそうではない。また刃物でものを切る場合でも、刃こぼれのしているのでは切り口が綺麗にいかないのと同じで撥の裾に傷のあるのでは弦と擦れる所がざらついて清澄な音は決して出るものではない。

まとめ
 こんな訳だから、弾かないうちから某人の楽器を見ただけで、その人の腕前が分かる。撥の裾に傷のついたのや、琵琶の腹板にあばたのあるのを持っている人は絶対に上手でない事は断言できる。ところがこうした楽器を持った人がはなはだ多い。これは世間一般が未だ琵琶に対する鑑賞力が幼稚なるが為に分からずに済ましているのであると思う。
 以上、単に弾く時のみの姿勢ですら斯くの如く狂いが出るのに、いざこれが歌を歌いながら弾くとなると更に狂ってくる。中には眉をひそめる如き狂態を演じながら、熱演の為にこうなると平気でいたり、あるいはその狂態を誇るような人もあるが、娘義太夫*と間違えた言い草だ。初心者は特にご注意を乞う次第である。

*編者注)娘義太夫(むすめぎだゆう) 女義太夫ともいい、女性による義太夫語り。ここでいうのは大正期に流行ったうら若き女性演者が佳境にさしかかると語りが熱を帯び、熱演のあまり日本髪を振り乱すなど過剰な演出があった事を指すと思われる。

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