[琵琶読本] 自己を育てよ(2)

心の緋縅
 自分の芸の完全を望むならば、常に自分を育てることを怠ってはいけない、自分を育てること無しに自分の芸の完全を望むのは本体のないものに影を求めるのと同じである。そこで私はいつも門人に「自分を育てよ」と言い通してきた。そしてその目標を「緋縅(※1)」に置けという。但しその緋縅は芝居のではいけない、心の底からの真の緋縅でなければならない。

※1)緋縅(ひおどし) 緋色に染めた紐や革緒の甲冑
 
 世の中には元気いっぱいの上手はある。重みのある上手もある。艶麗なる上手もある。また聴くのにいささかも骨の折れない上手もある。しかし元気も血気の勇に類したる元気であるか否か、重みも真の荘厳さであるか否か、艶麗も気品の備わったものでるか否か、聴くのに骨の折れないのも結構だが歌中の事柄を印象づけてくれるか否かを選ぶとき、幻滅を感じざるを得ない。実際に真にずば抜けた上手、すなわち名人というものは何れの世の中でも滅多にないのが本当である。かの興業政策の為に捏造したインチキ名人はあるが、そんな者はあったところで要するに山の賑わいたる枯れ木に過ぎない。ことにいわんやホラで固めたイカサマ名人や自己吹聴の宣伝名人においておやである。

真の名人の芸
 真の名人は一代に一人在るか無しのものである。しからば真の名人の芸はどんなものであるかといえば、それは元気はあっても粗暴でない、重みがあっても鈍重でない、軽妙であっても浮薄でない、熱烈なる情が溢れていても野卑でない。そして全体に渉(※2)って凜乎(※3)として犯すべからざる尊厳さがある。それが為に歌中の事柄が品良く印象づけられ、また聴者の心を向上せしめる。ものに例えて言えば緋縅着たる大将格である。

※2)渉る(わたる) 橋のない河など、水に浸かりながら向こう岸に行くこと
※3)凜乎(りんこ) 凜として勇ましいさま

 いうまでもなく緋縅を着る大将は学問も必要である、情けも必要である、武術も兵法もまた必要であるが、その上に更にもっとも必要なるものは学問武術兵法を活用すべき腹(胆力)である。情けを統制すべき理性である。これで私のいうところの緋縅の意味がお分かりのことと思う。
 繰り返していうが、私は形式上の緋威は御免こうむりたい。かの親の七光りでば馬鹿でもチョンでも構わないただ系団がものを言って緋縅を着るというような案山子で以って緋威を着る大将と、真の大将とは根底から月とスッポンの差があることを牢記(※4)されたい。
 また、かの片々たる小才子が、くだらなく力み返って豪傑を衒(てら)った粗野なる芸などは私はこれを足軽と称している。

※4) 牢記(ろうき) しっかり心にとどめ忘れないこと

ドイツの某学者の談
 しかし真の緋縅の大将になるにはじっとしていて成れるものではない。それには必ず自己を育てなければならない。それについて、かつて「音楽新調」にドイツのなんとかという学者(名前は忘れた)が言ったとして

「音楽家は本を読まない、彼らは「1ページの本を読む暇があれば一つの鍵盤を叩いたほうが腕が上がる」と言って、技術方面ばかりに没頭している。だから彼らの芸には少しも底力(そこじから)がない」

ということが載せてあった。
 これは少々手厳しい言い方である。音楽家だって本を読む人もあるに違いない。この話は少々極端に思うが、でも吾人(※5)は頂門(※6)の一針(※7)として味読(※8)する必要があると思う。
 本を読む暇に一撥でも一節でも稽古した方が技術は上達するに違いない。けれどもそれは琵琶術が上手になるので、一歩進んだ琵琶道には入れない。技術の修練は必要なことではあるが、更に必要なものは実に修養である。その修養の手段として読書するのである。しからばいかなる書物が良いかといえば、それはその人の批判力の程度如何によって読むべき本も変わってくる。
 けれども、前述の通り自己の修養手段として読書するのであるから、読書が目的でない。したがって読書万能と思っても困る。他に適当なる法方があれば、如何なる方法でも構わない。

※5) 吾人(ごじん) 一人称の「私」
※6) 頂門(ちょうもん) てっぺん
※7) 一針(いっしん) ひとつ
※8) 味読(みどく) 味わいながら読むこと

読書の態度
 要するに自己を育て上げることに役立つことであればなんでも構わないのである。また読書は流覧と熱覧(※9,10)とである。古人も「流覧十過は熱覧一過に如かず」と教えている。また書物の選択も注意しなければいけない。悪書は悪友よりも恐ろしいのである。読むならば善書を読まねばならない。もっとも批判力の完全な人はいかに悪書を読んでも直に自分を育てる材料になる。それは賢者は愚者より学ぶところ多きに徴(※11)しても分かる。しかし批判力の未発達の時代は悪書を読まない方が間違いがないと思う。そして自己を育てて、初めて気の利いた芸も出来るのである

※9) 流覧(りゅうらん)あちこち、またはざっと目を通すことと
※10) 熱覧(ねつらん) 熱心に見る、または読むこと
※11) 徴する(ちょうする) てらす、見比べる

個性発揮の順序
 近頃良く聞く言葉であるが「個性を発揮せよ」という。しかしこれは既に自己を育て上げた人に対して言う言葉である。しかるに多くの人はこの「個性を発揮せよ」に何らの批判も加えず、直に個性発揮に取りかかる。御当人ははなはだ涼しい顔をして個性発揮してござるが,発揮される方の人ははなはだ遺憾を感じる場合がある。
 個性発揮ははなはだ結構なことで、そこまで進まねばならないのであるが、個性を発揮する前に、まずその個性を充実せしめるこ

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