愛知春日井の人身御供伝説 十五の森

十五の森址 昭和44年当時

今を去ること500年ほど前のこと、愛知春日井地方にある庄内川のたもとに十五才の少女が生きたまま埋められました。明応三年(1494)のことです。川がが毎年のように氾濫して多くの農民が被害に遭い、困っていたところ偶々ここを訪れた陰陽師に解決方法を求めたところ「龍神の怒りを静めるには十五の生娘を川そばに沈め捧げるがよい」との卦がでた為です。その時村にいた15の娘は3人、親3名がくじ引きでどの娘を犠牲にするかを決めました。

水藤錦穣 十五の森 昭和44年5月

するとなんたる皮肉、当たりを引いてしまったのは村の庄屋自身だったのです。若い娘をむざむざ殺さなければならない親の哀しみはいかばかりだったでしょう。…しかしその甲斐あって以来川が氾濫することがなくなったそうです。娘の埋められた場所は多くの木々が立ち並ぶ森だった事から「十五の森」と呼ばれ今もその場所は判っていますが、いつしか森は切り崩され、昭和の時代には少女が埋められた場所を示す碑と若い苗木だけになってしまいました。人々は少女の埋められたその場所と、慰霊の薬師如来を奉る観音寺への祈りを欠かさず捧げました。

時は過ぎ昭和44年になって、観音寺に親子地蔵を建立する事になり、その際に琵琶歌を添えようという事になりました。地元の教育委員会から相談され主導したのは名古屋の斎藤耕水さんという錦心流の方です、そこで作られたのが今回ご紹介する琵琶歌「十五の森」。作詞は滝川流石先生、作曲演奏を水藤錦穣で昭和44年5月1日に披露が行われました。私たち藤波親子もその際に同行して琵琶歌を披露しました。

作詞の滝原先生と錦穣先生 親子地蔵前
昭和44年5月

先日母藤波と実に48年ぶりにその地を訪れました。親子地蔵は相も変わらずでしたが少女が埋められた碑にあった細木は見事な太さになって半世紀近い歳月を感じさせました。

十五の森址 平成29年7月現在

下は現在の十五の森址(愛知電機駐車場内)です、最初の画像と見比べてみて下さい。

Posted in 令和琵琶歌の研究

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