水藤錦穣の片翼 新部櫻水

新部桜水[1919-1976]は、藤波桜華と共に宗家錦穣の内弟子として錦琵琶を内側から支えた錦琵琶奏者。高崎市出身、錦琵琶師範、皆伝、山号は錦操山、本名操(みさを)。第一回日本琵琶楽コンクール優勝者。

新部桜水 (昭和39年頃)


元は錦心流山口錦堂の門人、昭和29年頃、錦穣の五位鷺を聞いて衝撃を受け水藤錦穣に弟子入り。当初高崎から通っていたが、錦穣の勧めもあり昭和31年より錦穣宅に住み込み修行をするようになる。芸風は錦心流の出らしく女流ながら勇壮な歌と弾法が特長。錦穣没後間もない昭和51年、子宮癌を患い病没。享年56歳

左から新部、錦穣、藤波 (昭和30年代中頃)

まことに余談ではあるが、当時(錦周辺の)琵琶人の名のり方、呼び方は名前や雅号ではなくその住まいの地名で呼び合った。錦の場合、宗家錦穣が「梅田」、のちに「成増」。藤波桜華が「世田谷」「宮の坂」、新部桜水が「蛇崩れ」である。

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