Category Archives: 最近琵琶発達史

[最近琵琶発達史] 第九章 旭会の制定並びに現勢(3)

 ところでおのおの一派を樹てて斯界に闊歩しつつある水也田、宮崎の両君は、すこぶる非難の矢面に立たせられている現代旭翁の令弟にして橘会の盟主であるである知定橘旭宗君や、最近八洲流を創起した安部旭洲君その他に関してはなんら秩 […]

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[最近琵琶発達史] 第九章 旭会の制定並びに現勢(2)

大阪斯界消長の記  私は大阪における斯界の頭目を挙げたがもとよりそれだけではない。まず大阪旭会創立当時の教師は大橋、安田並びに西川旭楓の三師であったが、それより十年前、大阪に筑前琵琶を開拓した元祖は大橋、中村、達村夫人の […]

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[最近琵琶発達史] 第九章 旭会の制定並びに現勢(1)

大日本旭会制定  翻って大日本旭会の制定、すなわち旭翁の苦心を具体化した当時の模様を略記しよう。

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(6)

筑前琵琶女流の世界  また旭恵嬢は旭会の中堅を承り、南明倶楽部や和強楽堂あたりで弾奏会を催していた、琵琶会を有楽座あたりで開催するようにしたのは旭恵嬢の力であると言って良い。

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(5)

天覧の栄誉  超えて十三日またまた北白川宮殿下の御召しを蒙り、六月十八日には麻布御川邸に参殿し富美宮、泰宮両内親王の御前に小督、楠公、扇の的等を弾奏し、二十一日に再び北白川宮殿下御お召しにより石童丸、湖水渡、扇の的等を演 […]

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(4)

橘流装束と下賜織布の冠  その御前演奏の前日、明日は東宮の御前で演奏するという、なにしろ空前の事とて一人で気を揉んだ金子子爵は旭翁を自邸に招いて「明日は殿下の御前に罷り出でなければならぬが羽織袴では俗人めいていかぬ、なに […]

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(3)

富士山頂の実験  明治三十一年の夏、ある日金山尚志君の宅に招かれた旭翁は一曲の琵琶を弾じた。たまたま来客の一人が「総じて音律は富士山の頂上では調子が狂うのである。なんでも空気の密度によって麓で合わせた調子は上山に登るに従 […]

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(2)

 しかし私(筆者)はすこぶる物足りなかった。特に福岡市は筑前琵琶の発祥地として一丸父子をはじめ多くの名手がおり、その旭翁上京前に養成された人々ははなはだ少なからず、かつ現に橘流の中堅を承っている弾奏家にして旭翁上京前に指 […]

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[最近琵琶発達史] 第八章 初代橘旭翁の苦心(1)

女琵琶師のロマンス  旭翁の功績については名家評伝中に略叙してあるが、やはり順序として一通り述べようと思う。

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[最近琵琶発達史] 第七章 永田君の所感を引いて(3)

未来への展望  永田君は、この対策として「私の望むところの一例を挙げればまず事件の進行とか、史実の興味とかを度外視し、例えば月ならば月、春ならば春、秋ならば秋といった一事物の感じを歌と弾法によって如実に描き出すというよう […]

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