錦穣が見た奥会津の風景 故郷の道

錦琵琶を学ぶものが最初に教わる小曲、”故郷の道”は元々京都にお住いの水号者、早川幾水師が東京の錦心流福澤錦綾師に送った十数篇の歌詞の一つで、それを見て気に入った錦穣先生が、ぜひうちでもやりたいと錦綾師にお願いして頂いたものです。ですのでこの曲は本来錦心流のものと言えます。
この歌は唱歌「ふるさと」のような、昔の日本であればどこでも見られた景色を懐かしむ自分が、ありし日の友や母を思う歌詞が歌われています。意味さえ通じれば世界の人がそれぞれの風景を想い共感する歌でしょう。

藤波の郷里 奥会津三島町 (平成28年現在)

宗家錦穣は本所の生まれ、いわばチャキチャキの江戸っ子で賑やかな江戸の町しか知らず育ちましたのでこの歌に謳われるような原風景を知りませんでした。ある時(昭和31年)の秋に藤波桜華(この時はまだ五十嵐桜華)と会津若松に巡業した折に、まだ生きていた藤波の祖父に是非にと言われ二つ駅隣の五十嵐の郷里に招かれました。当時はまだ舗装もなく山道の奥深く位置する里、用意したモンペに履き替えた先生はまさにこの詞にあるような風景を歩いたそうです。以来先生はそれを思い浮かべながらこの曲を歌いました。

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