「吉村岳城 琵琶読本」不定期連載 初めに〜

吉村岳城 昭和26年
(吉村岳城精華集より)

はじめに
「琵琶読本」とは薩摩琵琶の吉村岳城[1888-1953]先生が昭和8年7月に上梓した広く琵琶に関する読み物です。その多くは昭和5−7年頃にかけて朝日及び読売新聞一般紙上にて連載していたコラムをまとめたもので、出版されてからはや84年以上が経過しています。時折古書市場に見かけても価格2万円以上、決して入手し易いものではありません。そこで戦前の旧仮名使いを現代に直しつつここに載せていきたいと思います。昭和初期当時琵琶に関する記事が朝日・読売という一般紙上に連載されていたという事をみても戦前いかに琵琶が隆盛を誇っていたかという歴史的証左として価値のあるものと思います。 八戸にて 記 藤波白林
以下記事より
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錦琵琶藤波桜華演奏会 (昭和44年)

藤波桜華演奏会プログラム 表側

水藤錦穣門下藤波桜華主催の演奏会は昭和44年の春に行われました。ユーモア溢れる表紙を飾るのは長男白林の書?。師匠錦穣後援のもと多数の錦門人が出演し盛会となりました。
藤波が曲垣平九郎、宗家錦穣先生はしぐれ曽我。新部さんは大高源吾等々。それにしても五歳の拙い字を表紙に持ってくる斬新さは今考えても敵わない。

藤波桜華演奏会プログラム 内側


藤波桜華演奏会 公演終了後
楽屋にて (昭和44年4月)

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錦穣が見た奥会津の風景 故郷の道

錦琵琶を学ぶものが最初に教わる小曲、”故郷の道”は元々京都にお住いの水号者、早川幾水師が東京の錦心流福澤錦綾師に送った十数篇の歌詞の一つで、それを見て気に入った錦穣先生が、ぜひうちでもやりたいと錦綾師にお願いして頂いたものです。ですのでこの曲は本来錦心流のものと言えます。 Continue reading

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びわ新曲 扇の的 (昭和6年)

朝日新聞昭和6年12月12日ラジオ欄

85年前、昭和6年12月12日の東京朝日新聞芸能欄。この日錦琵琶水藤錦穣の新曲[扇の的]が初めてラジオで放送された。

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水藤錦穣直筆その1

錦穣直筆白林誕生祝い (昭和38年)

FaceBookで数年前の今日限定公開したのですが、錦穣先生の直筆はそう多くないのでここでもご紹介します。54年前、母藤波の長男(白林)誕生に際して師水藤錦穣が贈った書です。先生は藤波に常々恋愛経験が芸の肥やしになると云っていたそうですが、ここでも母の苦労が人生そして芸に深みを増すと書いています。どこまでいっても芸のため、琵琶一筋の錦穣先生でした。

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琵琶界の怪物水藤枝水

楽屋にて水藤錦穣と水藤枝水
(昭和40年頃)

水藤枝水[1895-1975]は米国ロサンゼルス生れ、元錦心流榎本芝水門下で最初に水号を得た一人。流麗な錦心流にあって勇壮な演目を好んで演奏、宗家生前より錦心流永田錦心の懐刀と恐れられ、業界のフィクサーとして大いに辣腕を振るう。大正末期錦琵琶を創立し錦穣を育て、また戦後は鶴田流鶴田錦史を擁立する等斯界に影響を与えた。本名:-安平。別名「桜木町」、「(上野の)山」。昭和50年没

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唐人お吉

アーカイブに富田桜国と母藤波の音源「唐人お吉」をアップしました。

[音源 -唐人お吉- 富田桜国 絃:藤波桜華] 昭和43年5月5日 於:足利市民会館大ホール

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水藤錦穣の城山

玉衣の水藤錦穣 昭和30年頃

昭和31-2年頃の貴重なリハーサル音源です。琵琶人なら説明不要の名曲、いつもの五弦ではなく四弦を弾いています。

[音源 -城山- 水藤錦穣]

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浪曲琵琶 若水桜松

浪曲琵琶-父帰る- 若水桜松 絃:水藤錦穣

宗家以下女流の多い初期の錦琵琶ですが男性門下の代表格がこの若水桜松師です。千葉県出身、本名網中重太郎、錦琵琶創流時からの門人で、竹を割ったような弾法と歌唱で琵琶では新撰組や白虎隊、彰義隊といった勇壮な演目を得意とし、のちに「浪曲琵琶」という新境地を拓き琵琶楽の可能性を広げました。吟詠でも多くの音源を残しています。
後に吟詠の会を興し、宗家になりました。
※写真は水藤錦穣と演じる「父帰る」上野松坂屋劇場

[音源 浪曲琵琶 -父帰る- ]

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会津公演ポスター(昭和32年)

錦穣一門公演ポスター(昭和32年)

当時の水藤錦穣一門巡業時のポスター。
昭和32年8月 於 会津若松市謹教小学校講堂。

紹介されている戦争悲曲 -嗚呼祐助-「会津母子草」とは、錦心流琵琶を弾く角田歌水(うた)さん親子に起きた悲しい実話を錦穣先生が琵琶歌にしたものです。

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