[琵琶読本] 弦を惜しむ損害

弦を惜しむ損害
 弦が古いと美しい音色が出ないのは当然である。こんなことは誰にでも分かりきっているが、それが為に下手になったり、あるいは進歩が遅れたりすることを考えている人ははなはだ少ないようである。

 人間は馴れやすい動物である。だから常に美しい音色を聞きつけているとその音色が耳になじむが、反対に悪い音色ばかり聴いていると悪い音色になじんでしまう。この事実からして古い弦を掛けて、「まだ稽古中だからこれで沢山だ、もっと上手になったら弦も常に新しく取り替えるが、今はもったいないから」などと、弦の切れるまで使っている人を往々見受けるが、これは俗にいうところの「一文惜しみの銭失い」の類である。

耳を肥やせ
 いうまでもなく、琵琶の稽古は手の動きを能くすることも必要なことには違いないが、耳の肥えることもまた重要な条件である。つまり聴覚の発達が肝要である。然るに古ぼけた弦を掛けて、悪い音色を常に聞き慣れるということは、自分で自分の耳の力を低下せしめるものである。すなわち音色の美醜、澄濁を聞き分ける能力を阻むか、あるいはその能力の発達を遅れさせるものである。
 よく手垢などで真っ黒になった湿気満々、一見して手を触れるるだに不愉快と思わしむるような弦をかけて平気でいる人があるし、または値段の安きを望んで音の良く出ない弦や、掛けてからあまり垢は付いていなくても相当古くなったの等を掛けている人もあるが、あれは改めないと却って大損をする。

 不愉快に馴れると、不愉快に同化するものである。本人はなんとも気付かずにいても、他から見ていると気の毒なくらいに進歩が遅れている。ところが進歩が遅いと大概の人は飽きる。飽きて後が挫折という事になる。それらの原因の一つに実にこの弦という小さなものも大なる力として存在していることを考えてもらいたい。

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些細の事、品性を作る、しかも品性は些細のことに非らざる也(エマーソン)

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