[琵琶読本] 声の養生と修練について

 声の養生ということについては、すべて声を使う人達はみな相当に注意を払っているが、その養生法は人々によって相違があるのでこの方法が良いとは一口には言えない。例えば昔からナスの漬け物は咽喉に悪いと言われているが、私は平気である。 ーもっとも私は生来の悪声であるからこれ以上悪くならないという点もあるかも知れないがー

声は腹から
 さていかに声々といっても喉ばかりに注意しても駄目である。鼻も、耳も注意しなければならない。耳などは声になんの関係もないと思ったら大間違いで、耳の悪い人は声の質が普通の人のと相違がある。そして鼻、咽喉、耳よりも更に一層注意が必要なのは実に健康である。健康の勝れない時はいかに美声家でも駄目である。その健康法は、私がここで述べるまでもなく諸君が先刻ご承知の事だから略する。だが、健康のうちでも気管、胃腸、腎臓などを害したのが一番打撃が大きい。

淫声
 声は腹から出すように修練が肝要である。それには常に腹力(腹筋)を養成する必要がある。
 腹式呼吸法に適った法方でやらずに単に咽喉や鼻の先で声を出せば直ぐに疲れるし、はなはだ貧弱なものになる。これらの声は淫声と称して下劣なものの標準とされている。
 また咽喉や鼻や胸のみで声を出して、遂に肋膜や肺を悪くした人の数は、琵琶界のみでもかなり多いから注意すべきである。

俳優のセリフ
 ある一流の俳優が弟子に向かって「お前の声はスノコへとまるが、まだまだそんなことでは駄目だ、セリフは奈落へ届かなければ駄目だ」と教えたそうだが、これは初歩のあいだは声が腹から出ず胸だの喉だの鼻から出してるからだ。もっと激しいのは頭のてっぺんから出しているから声に力がなくフラフラとスノコまで飛んで行くのだろう。

謡曲の声
 謡曲は声を腹のどん底から出す。私は他の流儀は知らないが宝生流は鼻声三分に腹声七分と教わった。鼻声という中には喉声から出すのも入っている。そして発音が特にやかましい(うるさい=厳しい)。習い始めて三年ほどは大部分を発音の稽古に費やす、その発音のやかましさは平常の談話にまで文句を言われる。
 いかに美声を張り上げても発音が不安定であれば木か鐘を叩いているのと変わらない。
 謡曲は朝、声を練る。これも私たちにとっては大いに参考となることである。朝日に向かってうんと腹に力を入れて堂々と謡い出す、思っただけでも元気が溢れるではないか。こうしたやり方は、体力と声と精神と三つを良くする事になる。

声の手当
 風邪に冒されて喉や鼻を害したら直に手当をしないといけない、無理をすると慢性の喉カタルや鼻の病気になる。したがってちょっと風邪を引いても直に声に故障を生じるようになる。
 喉を害したときは湿布をすること、うがいをすること、または吸入をすることが肝要である。よくルゴールや硝酸銀水を患部に塗る人があるが、あれはよほど悪い時でない限りは止したほうが良い。あれをやると癖になる。
 湿布は酒、ネギ、湯などがあるが、何れでもその人に合うものを選ぶべしである、
 吸入には食塩水が一番よろしいようである、しかし食塩水ばかりだと食塩中毒を起こす、食塩中毒を起こしても別に健康にどうということはないが、食塩が利かなくなる。そこで中毒を防ぐために重曹を少量混ぜるとよろしい。

 うがいはホウ酸水、食塩水、塩ボツなど用いるが、塩ボツは喉下すると胃腸を害するから注意すべし。また近頃はオキシフルを用いるが、あれは良く利くけれども喉がかえってカサカサする、それでもオキシフルを用いたら直にまた食塩水でも一度うがいをすることが必要である。

鼻の手当
 鼻を害した場合は薄い塩番茶を鼻に通すと良い、そして赤身の魚や背の青い魚や、牛豚肉を避けて菜食すると早く治る。
 食物として蓮根は良いそうだが私は未だ試したことがない、けれども生の蓮根をおろして絞った汁を鼻の穴に1−2滴垂らし込むとはなはだ良くなる。またその汁を飲めば咳を鎮めるのと、痰切りに妙薬である。
 関東では里芋、関西では小芋と称する芋、あれは喉に痰が絡むから弾奏前には禁物である。

食養療法
 声を使う前に卵を用いる人がある、これは口中がねばっていけない、あれは声をよくする為でなく、精神持続を目的とするならば良いだろう。そのために用いるのならば、声を使う直前でなく、三十分ほど前に用いるとよろしい、ただし腎臓病の人は禁物である。

 湿布、黒豆、飴などもよろしい、大根おろしや人参おろしなども良いがこれは直接声そのものに対して利くのではなく、体力を盛んにする結果が良くなるのである。
 日本酒、ウイスキー、ブランデー、焼酎などアルコールのものは害はあっても良い事がない。

寒声
寒声と称して極寒の候に屋根の上その他で寒風に晒されながら、一生懸命に歌って声を練る人がある、しかもこれをば喉から血の出るまでやる、ついに声が出なくなる、それでもなお連続するとこんどは声が出てくる、こうして修練するといかに長時間やっても声が疲れないといわれているが、これを専門医に尋ねてみたら次のように答えた。

「喉の抵抗力を作るのは結構だが、声帯を破って血の出るまでやるのは良くない。それをやると声が濁って決して清澄な声は出ない。やるなら血の出ない程度にやるべしである。」

 以上並べ立てたが、私自身は未だに一度も声の養生も修練もしたことがない、みな受け売りである事を告白する。ただ諸君のご参考になれば幸いである。

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