今度はこの会の代表的弾奏者Hである。
「旅順開城 H」
とビラが出ると場内はたちまち拍手が猛然とわき起こる。
習慣の因縁
さてまた考える
キリンという動物はなんとか木の葉が大変好きで、ほとんどそれを常食としている。その木の葉はよほど高いところにある。それを食うために首を伸ばし伸ばししているうちに代を重ねるに従って追々首が長くなったと博物館の説明書に出ていた。
それから海軍の軍人が水雷艇の乗り組みになると背は伸びないが、軍艦の乗り組みになると背が伸びると海軍将校から聴いたことがあった。要するにこれは平常の動作が身を伸ばして働くのと、縮めて働くのとの結果がかくまで身体の発達に相違ができるのであって、更にその結果が子孫に及ぼす、馬鹿にならないものだ。
習慣は第二の天性也というが、その第二の天性を有する人から生まれた子供は先天的に親の第二天性を受けてしまう。だから習慣は先天性の本家本元にもなる、これが為に修養の必要も生じてくるのだ。
さてHの琵琶の撥面には金の高蒔絵がしてある、そこで撥を普通の場所で使うとうっかり撥面まで叩いて傷でも付けてはと心配があるのか否かは知らないが、はなはだ上部で撥を使う。現に撥が半月のところで運動している ーそれも極めて弱くー もちろんこの場所とこの撥使いのことだから音は生気なく、またはなはだ弱い。Hの弟子や、そのまた弟子が皆こうした亡国的撥使いをするのを見て気の毒になった。
「それかあらぬか亡国のーーッ」
とここを中干にして、しかも実に長ったらしく琵琶を弾いた。しかしその直後の文句が
「恨みをかこつに似たりけり」
というのである、果然(※1)Hもまた無知な人であった。
※1)果然(かぜん) 予想通りに事実が表れるさま、はたして
古くやれば上手になるか?
ふと考える
昼は働くもの、夜は寝るもの、と昔から相場が決まっている。例外は別である。
昼寝は多く夏にする、これは暑さから来る疲労を癒やすためか、さもなければ朝うんと早く起きたために不足した睡眠を補う為にある。しかしこの昼寝も過ぎると不愉快である。
日の短いとき、身体が疲れていないとき、更に多忙なときに昼寝は辛かろう。無理にすれば苦痛である、不愉快この上もない。
琵琶歌に無理な昼寝は禁物である。無理でなくても禁物である。しかるにこれをHは平気でやっているから驚異に値する。琵琶にせよ何芸にせよ、古くやっているものは上手である訳だが事実はこれに反する場合がある。それは古くやっている為にすれっからし(※2)になることである。聴衆を馬鹿にすることである。芸を粗末にする事である。こうした心持ちが琵琶歌を女の歌う唱歌然とさせてしまう。
※2) 擦れっ枯らし(すれっからし) 長い間の経験で人柄が悪くなったり、悪賢くなったりすること、またそのような人
生の価値
男には男の意気があり、女には女の意気がある。これあるが為に生きる価値がある。意気のないものは死物、死んでいるも同然である。
旅順開城の歌に「二十余句の防戦に」とある、旅順は孤立無援であった。しかも二十余句の間頑強に抵抗した。当年新聞や号外を見返すまでも無くこの歌だけでいかに皇軍が苦戦したかが充分に分かる。
苦戦に苦戦を重ねて尚も戦った、これは意気だ。一番大切な生命を捨てて戦った。生を捨てて義を取る、実に大したものだ。その大したものが意気である。その意気を歌うのに死物では駄目である、(歌う)資格がない。
芸術的価値
夏の真後ろに冬という寒いのが控えている。
勇気は仁義から生まれる。
愉快の下に悲哀が頭をもたげて来る。
これらを考えて歌う必要がある。つまり気組(※3)である。気組を骨子としているので総てが動的になる。そこに芸としての価値があるのだ。しかるに節回しと弾法だけなら刀の鞘と拵えだけと同じで刀としては何の役にも立たない。
※3)気組(きぐみ) 物事に取り組む意気込み、気構え
反物の表裏
Hは今琵琶の死骸を公衆の前へ晒している。しかもその弾法は依然として弾法であり、歌は依然として歌であるに至ってはせめて形の上丈なりとも取り柄はありたいと思ったのですら不可能であった。
何にしても歌と弾法は反物の表裏である。一にして二、二にして一、不即不離(※4)のものである。
※4)不即不離(ふそくふり) 二つのものが付かず離れず、ちょうど良い関係にあること
素人時代/魔のさした時代
常に歌と弾法が一つにならなければ駄目である。それは弾奏者の気組さえ出来ていればよほど下手で無い限りは統一されるのである。そして聴衆と弾奏とひとつになる迄に進まなければ名人とは言われない。
ここはこの節を用いる、ここはこの弾法を用いるなどと思いながらやるのは素人のうちで、この節、この弾法で感心してもらおうなどと考えるのやや進んで魔が差した時の考えであってこの時代は一つどころか二つにも三つにもなっている。
そんなことを考えているうちにHの弾奏は終わったと見えて拍手が起きた。
ー滅亡を弔うかのようにー
某会を聴くの記 おわり