[最近琵琶発達史] 第六章 錦心永田君と一水会(5)

錦心流弾奏家健闘の跡
 須田晴園君は「錦心流弾奏家健闘の跡」と題して形容詞沢山の斯流の中心人物の評を「四弦」誌上に掲げている。まず、「六総伝の縦横活躍」というのから始める。

六総伝の縦横活躍
 総伝としての古参者榎本芝水、田村滔水の活躍ぶりは凄まじく大正十年度における田村君の大会は正月七月の二回、榎本君の大会は正月五月十月の三回、これ両者の恒例大会で満都の人気を集中してその権威を示した。

 榎本君の地盤の堅固なること錦心流にあって君の右に出ずるものなく、田村君が外交的手腕を振るって演芸音曲界にその名を馳せたること斯流に冠たりである。芝水会研究会と田村君の研究会とは相並んで進みゆく。この年に於ける両者の地方出演は、田村君が関西に赴けるに反して榎本君は遠く北海道に及んだ。両者の活躍互いに相譲らずしてまさに錦心流の偉観(※1)である。

 石川萍水君は宗家直門として最世の人、今や北海の重鎮として奮励しつつある、昨年七月函館の山崎草水君と相図りはるばる永田君を聘して北海道各地に錦心流の宣伝につとめ多大の成果を収めた。その単身北海の奥深く分け入って斯道の開拓に従事しつつある労たるや多しとすべきである。

 十年五月、新たに総伝に列した山口春水、福沢輝水、松田静水の三君のうち、松田君は最年少にして気鋭、しかも早くより花形として知られ活動した年数最も長く、その雅致ある弾奏はよく人を魅せてあまりあり、各所の大会に聘せられて妙技を揮い、至るところに人気を呼んでいる。

 福沢君は芝水会の重鎮で進んで斯流の最高幹部として活躍すること頗るである。芸風は永田君を髣髴(※2)させるもので、祟拝者年と共に多くなって、君のの創意にかかる研精会は模範的と称せられている。別に一門の鋭を掲げて五月十月の二回に大会を催しつつある。

 山口君は宗家の直門として一峰時代より師範代を経た今日まで溌剌たる元気を以て一貫している。大会は五月十月の二回を開き門下の水号五十を数えるに至った。また春水会、研究会に引き続き催されまさに城南に一異彩を放っている。
最近三者の地方出演が度々あるのは*山口君の石川県、福沢君の山形県、松田君の三重県等である。
*編者註)原文は「最近三者の地方公演の重なるは」

※1)偉観(いかん) 立派な眺め、壮観
※2)髣髴(ほうふつ) よく似ていること

皆伝者列伝
 百名にあまる皆伝のうち、早々に総伝の塁を摩する(※3)者に横須賀の秋本碧水君、静岡の中沢静風君、新潟の酒井幽泉君がある。

 秋本君は湘南にその人ありと知られた熟誠の士で、門下またすこぶる多く春秋二回の大会にはいつもいつも好成績を収めている。十年度は大会は更に東京及び横浜の各所に出演して人気を沸かし、また研究心の強きことは、他に求め尽くし得ないほどである。

 中沢君は知る人ぞ知る当年東都斯界の風雲児で、ひとたび駿州に去るや錦心流のために献身的努力をして静岡市に本拠を構え江尻、浜松、小山、沼津その他の主要都市に善戦して県下の至るところに勢力を扶植した。就中十年度には永田君の出演を乞う事十数回に及んだという。永田君麾下(※4)における最も傑れた才能の士といえよう。

 流水こと酒井幽泉君については前に述べたとおりで操觚界(※5)にある傍ら琵琶を抱えて新潟県下を風魔しつつ、尚四弦社同人として健筆を揮っている。

※3)塁を摩する(るい-を-ま-する) もう一歩というところまで迫ること
※4)麾下(きか) 大将直属の臣、旗本
※5)操觚(そうこ) 記述、文筆業

聚星会と皆伝六人会
 大正八年二月、二十有余の教師が一躍して皆伝に昇進した。そして永田君の内意で「聚星会」というものを作り、一の組、二の組に分けて毎月各所にて演奏会を開いたが斯流の発展上大いに興る力になった事は言うまでもないだろう。そして最近「皆伝六人会」が生まれ聚星会時代の石川鶴水、長島華水、浅野晴水の三君、新進花形の雨宮薫水、小池幸水、谷暉水の三君とかたくかたく握手した。そして皆伝の中にあって嶄然(※6)頭角を現わそうというのである。

 石田君は多年宗家の代稽古を為してその名を馳せた。今や競争檄甚なる神田区内に居を構えて優勢を極めている、その教授所の隆にして堅実さは他に望め難く、いわゆる石田式のやり方の代表的と言って過言はない。
 これに反して長島君は破棄に富み、ひとたびこうと信じると猛然と進む人、十年度に於いて大会を開くこと二回、華睦会を作り華絃会を起こして勢い衝るべからずである。
 浅野君は君子の面影ありてその進行ぶりも君子的、すこぶる懐かしみあり、久しく宗家幹事を務めた経歴を持ち、人望があるのは勿論、十年度に於いて大会を開くこと前後三回、その名、錦心流部内に重きを成している。

 雨宮、小池、谷の三君は「六人会」の起きる前より互いに提携し「東会」を起こし、あるいは「二十日会」に投じて研鑽を怠らない。その発展ぶりも技能もほぼ伯仲(※7)して優劣なしと称せられ、いずれも元気旺盛、負けず劣らず進み行く、当年の「四天王」を想起せざるを得ないのである。十年度大会また三君とも春秋二回ずつ催して、地方公演も三者同じ度数を数えた。

※6)嶄然(ざんぜん) 才能や力量がひときわ高く抜きんでているさま
※7)伯仲(はくちゅう) 兄と弟、兄弟

「桜桃会」女流弾奏家の活躍
 一方大正十年四月、女流弾奏家は一致して「桜桃会」を組織した。皆伝者は大谷鶯水、葛生蘭水、の二嬢で、和田姿水、上原英水、福井禾水、速見是水の四嬢が中堅である。この四嬢は最近いよいよ皆伝に列せられた。以上は名家評伝中に書いた人々のみであるが教えられるが少ないのと一水会の中心勢力といったような場面を現すために引用した。

 以上これで永田君並びにその率いる一水会の過去現在にわたる状勢をほぼ書き尽くしたつもりである。

第六章 錦心永田君と一水会(5)錦心流弾奏家健闘の跡 おわり

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