[小説 びわ師錦穣 ] 第一話 夜空に咲く華

第一話 夜空に咲く華                 作 藤波白林

 ここは本所の吾妻橋。大正四年の川開きの夕暮れ、近くに住む中村夫婦は幼い子供を祖母に預け、残る年上の兄弟姉妹を引き連れて両国の花火見物に出かけた。
 道ゆく数多の見物客、雑踏にのまれて歩く隅田の川端はさても黒山の人集り。見渡す限り川を埋め尽くす屋形舟で水面も見えないくらいである。
 四女の冨美は今年数えで四つ。生まれて直ぐに先帝陛下がお隠れになったので今日は喪が明けて初めて観る花火大会、冨美は母の浴衣の袖をぎゅっと掴んだまま時折空を見上げては黙って頷いていた。

ヒュー、ドーン! パラパラパラッ……

 夜空に打ち上がる大輪が次々に花開く。少し遅れてドーンと響き渡る爆音、夜空に広がるそれは帝都の民が待ちに待った夏の風物詩だ。
大玉が打ちあがる度に沸き立つどよめきと喝采、威勢の良い掛け声。
 目を細めてそれを眺める父は続けて子供達に云った。
「手を離したらはぐれちまうからな、離さないよう気をつけるんだぞ」
「分かってるよぉ」
と長兄清一。やんちゃ盛りの長兄も次男も父の忠告には耳を貸さず、頭上に広がる宴に夢中だ。
「しかし…… 良いなァ花火は。やっぱり夏はこうでなくっちゃあな……」
母のくらが足元の娘、姉のたつ子と妹の冨美に向かって話しかける。
「本当、こんな家族で夜出歩くのは久しぶりね。どう、あれが打ち上げ花火よ、お家でやるのと全然違うでしょ」

 息つく間もない打ち上げが、やがてまばらになった頃、ちらと上を向いた冨美は眩い光が漆黒の空に散るのを眺めて囁いた。
「わァすごい…… けど、パーっと光って…パーって…… パーって消えちゃうの」
 父が応える。
「ふみ、そりゃあそうだ、花火だからな。ドカーンて光って、あという間に消えちまう。けどな、それで良いんだ、なんせ打ち上げ花火だからな」
 母のくら「ふみちゃん変わった子ね、でもそうねえ、花火ってなんだか終わりが淋しい感じもするわね」
「淋しいことあるもんか、パーっと光ってさっと消える。良いじゃないかそれで。人の一生も同じだ、見てみろ、こんなすごい人だかりだってあと百年もしたら一人残らず墓石の下だ。でもなふみ、どんな人だって必ず、一生に一度や二度はパーっと花を咲かせる時が来る、人生の華、大舞台がな。花火もそれとおんなじだ。でもな、終わりがあるから美しい。潔いいだろう、それが江戸っ子の粋ってもんだ」
「今日のお父ちゃんはなんだか詩人ね 、難しくってなに言ってるんだか分からないわよ、ねえふみちゃん。 ……さあ、おばあちゃんが家で待ってるわ、早く帰りましょう」
「そうだなァ、花火ももう仕舞いだし、そろそろ帰るとするか。みんな家まで手をしっかり繋いでな、はぐれちゃァ駄目だぞ」

 父は息子たちの手を持てるだけ掴むと雑踏のなかをまた歩き始めた。母も続いて娘たちの手を取り家路を急いだ。幼い冨美は母の手を離すまい、はぐれまいと必死に握って引きずられるように歩いた。

つづく

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