盲目の琵琶詩人 高松春月

高松春月 (たかまつしゅんげつ1871〜1935)
高松春月は明治4年信州出身、小学校の教員であった頃、化学実験中に水素ガスの試験管が破裂し破片と溶液が両眼に入り視力が衰えるに拘わらず地元新聞記者や家庭教師として奮闘し、その後上京して国民新聞に入社、文壇に奮闘した。しかしその後の手術不良のためまったく失明してからは琵琶研究を新生涯と志し、永田錦心の門に入り一水会のために当時新作琵琶歌、逆櫓、寧楽の櫻、松の間、雪晴、山科の別、別れの杯、紅葉狩。接待、鵯越等を発表した。明治40年秋、永田の黄嘴会を永田の”永”の字を一と水に分け”一水会いっすいかい”と改称を進言したのは高松である。斯くして永田錦心を補佐し錦心流に貢献著しき恩人であった。昭和10年10月13日死去。享年64。
琵琶新聞291号昭和10年11月 高松春月訃報
琵琶新聞382号昭和18年6月 椎橋松亭永田錦心の巻(四)一水会生る、高松春月の事

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