[小説 びわ師錦穣] 第四話 奥伝審査

大正10年、姉たちに混じって琵琶に家事手伝いにいそしむ冨美にもさてそろそろ奥伝審査を受けさせようということになった。本格の師匠方に芸を披露するのはこれが初めてである。当時の錦心流本部は芝区桜川町の宗家自宅にあり、毎週日曜日が昇伝の試験日だった。まだ残暑厳しい9月18日の朝、都電を乗り継ぎ錦心流の本拠地に向かう冨美と父。この日はいつになく受験者が多く、順番に呼ばれるまでは外で待つありさま、袋をほどいて楽器を出すのもままならなかった。やっと受験番が近くなり、控えの間で楽器を取り出し調弦、間もなく「次、中村冨美くん」と呼ばれて試験室に入る冨美。

試験は2階で10畳ほどの和室にコの字型に机が並び、受験者を囲む。左右に試験官たる幹部が2名づつ座り、正面に宗家永田錦心が鎮座している。この日の進行役は山口春水師範だった。皆若いながらも立派な口髭を蓄え、威厳のある面々、宗家は優しげな表情だが、冨美はそんなことを考える余裕もなく、すっかり硬直している。
「氏名と受験曲を言いなさい」
「中村ふみ、母の教え(※1)を演奏します」…といったはずだがあとから考えても何も思い出せない。
いわれるがままに演奏を始める冨美、母の教えは錦心流が最初に習う小曲だ。

♫やよ正行よ正行よ (中略) あらん限りは君のため倒れてやめとの…
「よろしい!」 「えっ‼」 思わず声を呑み込む冨美。
曲中で宗家から中断の声がかかってしまい、冨美は意気消沈してしまった。
とりあえず荷物をまとめ帰途につく親子。

「試験どうだった?」帰りの電車の中で父に優しく問いかけられるも冨美は「わかんない」と答える以外なかった。なにしろ初めて対面した琵琶の神様に言われた一言が「よろしい」なのだ。
しかし試験の結果はすぐにでていた、合格だった。冨美の頑張りはすくすく実ってていたのだ。ありがとう先生、冨美の気持ちは晴々となった。
結局この日は60名強の若鶏がめでたく奥伝に合格し、冨美は倭水わすいという水号(※2)を授かった。

つづく

※1)母の教え 薩摩琵琶の小曲、高崎正風作、楠正行の母が息正行に武士の覚悟を諭した逸話が題材。課題曲の一つだった。

※2)水号 流義によるが琵琶師が奥伝等免状を取得した際に師匠より授受する名前、一般には雅号だが当時錦心流は水号といい希望の一字の後ろに永田錦心にあやかり水の字を戴く。他に筑前琵琶は旭号、薩摩琵琶系は舟号や風号、城号など様々ある。

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