[最近琵琶発達史] 第七章 永田君の所感を引いて(2)

錦心宗家の懸念
「なによりもまず第一に憂うべきは、演奏者そのものが音楽的教養に乏しく、思想が低級であって、しかも利害の打算、名利の争奪のみ没頭しつつあるという事である。教師について稍(やや)琵琶というものが解りかけたと思えば直ちにそれによって物質的利益を得ようとする。少し世間から認められて生活が容易になれば、直ぐ安逸(※1)に流れ、深い研究も新しい創設も忘れ果ててしまう。これが琵琶を弾奏して生活する者に共通の現状である」と錦心君は嘆いている。

 九百にあまる名家の評伝を通観したした私は一層この感を強くせざるをえない。しかし、これも全部ではなく、従って永田君よりすれば当然であろうが真面目な教師諸君にしてみればすこぶる迷惑な話であろう。それに永田君が斯界の成金と称せられていることと、前にも述べたが頻(し)きりに水号を濫発するために幾分この弊害を助長したきらいがある、であるから教師諸君のみの罪とは云いきれないだろう。だがしかしたとえ全体でなくともそのような心がけでは前に言った智識階級にぶつかる上においてはなはだ心細い次第である。現に智識の人々にして斯流に投ずる者が日に日に多くなりまさっているようだが、中には教師の品性を卑しんで躊躇している者もなかなかに少なくないのである。私は切に教師諸君の猛省を促すと共に、一層音楽的教養と思想の向上に鋭意されるよう望んでおく。

※1)安逸(あんいつ) 何もせず気楽にただ過ごすこと

「たとえ按摩の修行をするにしても五年や八年はかかる、その上に不断の研究が必要である。いわんや琵琶に至っては十年、二十年、一生かかったとしても極致に至り尽くすということははなはだ難事である。元来琵琶は、日本古来の音楽中最も不完全なものである。それだけ自由に創造し、開発し得る余地が豊富である。三味線の如きは厳重に一定の型があってその型を破れば甚だしく不自然なものになる。しかし琵琶には殆ど型というべきものがない。各人の創意によって、また時々の感情によって自由に弾奏しても少しも差し支えないのである。むしろそれによってのみ真に生命のある芸術となる」

 さすがに永田君である。ここまで達観し得られなければ真の芸術家とは言われない。教師免状を得て鬼の首でも取ったように得々然としている輩は、まさに大悟一番して出直せと一喝したくなる。

「私が錦心流を創めそれによって現在数千の同流者を結束している事は、痛切に私が後悔しつつあるところである。これによって一定の型を成すことは、自由なる芸術の発創を阻止するものである。他の人に向かっても常に私はこの事を説き、各自の個性によって新しい独自の途を開くようにと望んでいるが、不幸にして未だ一人の満足し得るべき人さえ発見し得ない。この有様では近い将来において私達の団結を自ら破壊する事を余儀なくされるであろう」

とは永田君近来の大文字である。あるいは前に類似の言説を発表されたかもしれないが、とにかく永田君でなければ言い得ぬところであろう。実際一定の型をなして数千の一水会員に引きずられてゆくことは、永田君が潔しとしないところであろう。また自由な芸術の発創を阻止する事は実に忍びないものがあり、各自の個性によって新しい独自の途を拓くよう望む事が真に久しかったのであろう。しかも望んで得られなかった結果(場合)は、近き将来においてその団結を自ら破壊するも余儀なきに至るかもという悲愴の言をするようになったのである。思いここに至る、永田君の心中実に悶々の情に堪えないと察するしかない。要するに大天才である永田君から見ればさもあろう。

 しかしながら私に言わせれば無理な注文であると思う。いやしくも独自の途を拓くということは容易でなく、かつ永田君ほどの者が強固なる、いわゆる一糸乱れずという一水会は政界に於ける政友会それの如くであって、永田君にして始めて統率の実をあげ得るものである。一の破門者を出さないような近来の政友会より以上であると言える。永田君それ自ら慰めてかなりではないか、ただ理想に近き後継者を物色し得ざる今日にありては、切に永田君の自重加餐(※2,3)を祈ってやまない。

 永田君は進んでいう、「単なる事件の記述のみに終わる在来の歌曲に対しても、到底私は満足する事が出来ない。寧ろ聴衆が既にこの陳腐な曲に飽きつつある。現代の知識程度においてかかる散漫平坦な歌曲によって威興を受ける者は、恐らく二十に充たぬ人々まで位に止まるであろう。否、それさえ既に危ぶまれる。新曲の作歌者もあるが、それとて在来のものの換骨奪胎でこれによって行き詰まった現状を打破し、新曲を展開せしめる事は無論おぼつかない。」と。

 私が前に一水会の大正十年度に於ける記録を評して対内的で輪郭が小さすぎるといったのはこの事である。それは飯田(胡春)君や葛生(桂雨)君のようないわゆる座附作者といった風の傑(すぐ)れた作歌者もいるが、しかしさほど歌曲に思いを致しておられるならばなぜ百尺竿頭(※4)一歩進めて広く歌曲を募らないのであろう、創意ある時代精神に触れた傑作を得ようと望めば、すべからく都下の一流どころの新聞雑誌を通じて広く世間に求めたら良いのである。琵琶新聞可なり、四弦可なりではあるが、それらは対内的機関誌に過ぎないではないか、ひとり歌曲に限らず対外的施設もしくは試みというような事はさっぱりないではないか。
 特に私は一流どころの新聞雑誌に琵琶会の批評ひとつ載っていないのを全く情けなく思う。極言すれば世間とまったく没交渉であってただ琵琶村は琵琶村だけで処理していっているように私には思えてならない。これは錦心流についてのみ言うのではもちろんない。が、賢明なる永田君がここに思い及ばないことはないだろう、そしてこの機会に私の考えついた事を率直に述べたまでである。また斯界が永田君の憂うるほど行き詰まっているかどうかは疑問である。しかし多少局面打開の必要に迫られている事だけは認めないわけにはいかない。同時に大いに対外的態度に出られんことを勧告するものである。

※2)自重(じちょう) 自分のふるまいを軽率になわないよう気をつけ品位や健康を保つこと
※3)加餐(かさん) 栄養を良く取って養生すること
※4)百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう) 百尺の竿の先端すなわち到達すべき頂点、天下

第七章 永田君の所感を引いて(2)錦心宗家の懸念 おわり

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