[最近琵琶発達史] 第九章 旭会の制定並びに現勢(3)

 ところでおのおの一派を樹てて斯界に闊歩しつつある水也田、宮崎の両君は、すこぶる非難の矢面に立たせられている現代旭翁の令弟にして橘会の盟主であるである知定橘旭宗君や、最近八洲流を創起した安部旭洲君その他に関してはなんら秩序ある記録を見受けない。公平であるべき本篇の筆者として私はこの方面に一瞥を与えないわけにはいかないのである。
 そしてまず東京ではずっと前に書いた高峰琵琶の創開者高峰筑風君は別として、旭翁の流れを汲んだ三田國粹君がなかなか勢い盛んである。同じく英佳陽史また侮るべからざる発展を遂げている。その他桜洲流など数えればまだあるが、それは評伝(琵琶人名鑑本文)に大体記したからここは省こう。
 大阪ではなんといっても、綠会を率いている綠水改め水也田呑洲君と錦会を統べるところの旭城改め宮崎錦城君が現に破竹のような勢威を示している。
 
 筑前琵琶の発祥地である福岡に蟠居(※1)する元老石村旭光君は凉月と改号して石村流を標榜している。最近名古屋に旗揚げしたやはり元老の安部旭洲君は「八流洲法山号一覧」によると、現にその法山号所有者のみで二十八名を数え虎視眈々としている。しかし現代旭翁令弟橘旭宗君に至っては「橘会称号一覧表」に示すように、江頭旭米、東原旭扇、奈良旭村、深谷旭紅、有吉旭泉、大西旭潮、池畠旭爽君等を師範代に推して、角野旭槇、山下旭洋、田口旭隆、宮本旭晴、宮尾旭幸、田崎旭曹君等を師範代に次ぐ院号並に総伝所有者とし、その他実に九十三人の法山号所有者を網羅して、まさに斯界の一方に雄飛しつつある。特に旭宗、呑洲、旭洲、錦城の四君に対して某誌など頻繁に毒づいているが私はあまりに見苦しいと思っている。それに錦城君は帝国錦新報を、旭洲君は大日本琵琶新聞などの機関誌を発行して熱心に斯道の向上を図っているではないか。特に旭翁と前後して興った鶴崎流の開祖故鶴崎堅定君が不遇の間に物故したのは気の毒に堪えない。

※1)蟠踞(ばんきょ) 根を張りそこに留まること

 私は以上の人々の消長をもっと書き、また筑前琵琶の本場である福岡をはじめ各地における斯道の発達状態と、とりわけ満州、及び支那における斯道の非常な発展ぶりを叙述したかったのだが、資料の蒐集半ばにして執筆せざるを得なきに至ったので、遺憾ながら今後に保留するほかない。私は以前旭翁の苦心、その具体化した大日本旭会制定当時の事を書いたので、今度は最近催された、大日本旭会第四回全国大会の盛況を紹介して、現勢の一端を締めくくろうと思う。いうまでもなくこれらを比較対照すればほぼ筑前琵琶の今昔、すなわち趨勢を想見できるからである。

大日本旭会第四回全国大会
 大正十一年四月二十八、九、三十日の三日間に、各地代議員協議会は博多商業会議所で開かれ、その全国琵琶大会は、福岡市の九州劇場において催され、斯界空前の壮観と称された。そこで私は出席議員と出演者と称して各地代表者を列記しよう。なかに一人で三者、二者を兼ねた者が多いがそれはやむを得ない。

 まず、各地代表議員から挙げると、鳥栖の旭会幹事山本旭陽、北摂(大阪北部)の旭会長田村源太郎、平壌(朝鮮)の教師池田嘉、佐世保の旭会長大長廣吉、神戸の教師柴田旭道、青島(中国)の教師片山旭篠、京都の旭会長和田旭草、門司の教師大石旭峯、山口の旭会副会長、広島の旭会長、澄川徳、松山の幹事河野旭城、呉の教師福島旭揚、鹿児島の教師長友旭月、名古屋の幹事加藤旭宰、岡山の教師荒尾旭崗、久留米の幹事榎旭島、同じく江崎旭來、京都の教師村旭汀、東京の旭会幹事筑紫旭一臣、大阪の教師辻野旭煌、山門の田中藤一、後藤寺の旭会長武藤興三郎、長崎の旭会長渡邊三郎、佐賀の教師森旭晄、釜山の教師井川旭正、熊本の旭会長島田眞富、八幡の教師古賀旭篁、大連の教師清水旭城、、同じく大連の教師高浜旭涛、小倉の教師白木旭定、福岡の旭会幹事一同の諸君で、実に三十会と駐されている。上記の外、代表者で出席された人は東京の佐藤旭曄、名古屋の高木旭調、大阪の世古旭祥、、山崎旭正、神戸の松岡旭岡、北摂の松永名弘、呉の中川旭幽、伊豫の近藤旭水、鹿児島の高木旭瓏、長崎の福田旭博、広島の前田旭心、京都の松下旭邦、直方の渡旭猷、古月の井上旭覇、大邱の中川旭政、岡山の大畠旭豊等の緒師であった。
 直方の会長後藤松太郎、大阪の会長喜多見行正、堺の会長池田三郎、呉の幹事佐川興一、下関の幹事勇士繁次郎、中部支部会長長井己治郎の諸君は事故のため欠席。

 更に出演者は、西村旭荻(徳山)、片山旭篠(青島)、伊原鹿声(山門)、溝口旭象(中津)、山本旭陽(鳥栖)、石丸旭堂(大連)、秦 旭翠(奈良)、西尾旭山(大石橋)、佐藤旭曄(東京)、筑紫旭一臣(東京)、熊澤旭庸(姫路)、横田旭歌(京城)、野本旭田(兼二浦)、大村旭彌(八幡)、吉田旭鳳嶺(山口)、国澤旭齡(若松)、蛙田旭逸(宇部)、吉田旭磊(後藤寺)、松下旭邦(京都)、大石旭星(久留米)、長尾旭英(丸亀)、福田旭博(長崎)、板井旭盤(佐世保)、渡旭猷(直方)、中原旭香(宮崎)、河野旭城(松山)、原口旭寿(佐賀)、中川旭正(釜山)、貴田旭陽(熊本)、西尾旭豊(大分)、三戸旭美(神戸)、久我旭雲(八幡)、中川旭政(大邱)、池田旭寿(平壌)、大八木旭里(若松)、桐山旭鵬(名古屋)、中川旭幽(呉)、勇士旭瑛(下関)、猪俣旭畦(小倉)、世古旭祥(大阪)、小澤旭棟(泉州)、松永旭弘(北摂)、大畠旭豊(岡山)、高木旭調(名古屋)、本多旭映(京城)、中村旭豊(静岡)、戸倉旭嶺(姫路)、高木旭瓏(鹿児島)、石橋旭英(門司)、松岡旭岡(神戸)、富谷旭蓬(京城)、村旭汀(京城)、井上旭覇(古月)、前田旭心(広島)、山崎旭正(大阪)、辻野旭煌(大阪)、柴田旭堂(神戸)、秋根旭恵(東京)、橘旭絋(宗家夫人)、橘旭翁(宗家)及び福岡旭会所属の諸君である。もって如何に盛観を極めたかを想察すべきであろう。
 同時に以上の人々はまことに一粒選りの腕達者であって、各地旭会の代表として申し分ないのである。
 思えば旭会制定当初とは雲泥の相違があると言えるだろう。
 しかし、以上の人々は代表者であるが故にこのほか無数の旭会員なあるのは言うまでもなく、真に旭会の隆盛を表徴(※2)したものである。

総括
 ああ偉人旭翁逝いてはや三星霜を経た。そうして二代旭翁たる一定君は三カ年の試練を重ね、翁の偉業を紹述(※3)してますます旭会の発展を致したことは特筆大書しなければならない。大日本旭会会長である浜地八郎君の言ったように、一般の琵琶弾奏家諸君に対して、なによりも人格上または精神上の見識を高め、単なる奏楽の技巧ばかりでなく、この芸術の精神をもって、一般国民の風教上、思想上の善導向上を思念されることを切に望むばかりである。さらに将来の琵琶界が我が国の少年を教え導く点について、深く考慮すべきは極めて自明の理である。高尚にして通俗な新曲を演出して労働者の慰安として、風教思想の善導を成すと共に、一方日本古代文学等を材料に新しい曲目を作り、また進んで、永田錦心君も言ったように、西洋音楽との調和を計らなければならない。そして伝統的琵琶の精神をあくまで把持(※4)し、それを根拠として時代に適応した調節を計り、それを以て益々斯界の発展を致すべきである。

 私がしばしば述べたように広く創意ある時代精神に触れた作歌を表す外には、出来うる限り知識階級と共鳴し、かつ世の思潮を代表するところの新聞雑誌記者と連携し、そうして所期(※5)の目的を達するべきである。それを要するに私の書いたこの短篇が多少にでも読者に考察の資料をあたえ得れば足りるのである。 (最近琵琶発達史 完)

※2)表徴(ひょうちょう) 表に表したしるし、シンボル
※3)紹述(しょうじゅつ) 先人の偉業を引き継いでゆくこと
※4)把持(はじ) しっかりと握り持つこと
※5)所期(しょき) 期待する、期待される

第九章 旭会の制定並びに現勢(3)大日本旭会第四回全国大会 おわり

本書の編集資料蒐集にあたり特別の援助を賜りしを以てここに芳名を録し謹んで謝意を表す (五十音順)

足立廬光
秋根旭恵
秋本碧水
浅野晴水
雨宮薫水
池田天舟
飯田文学士
植木康水
榎本芝水
江馬旭子
鹿毛旭刀
加藤璃水
清川嵐水
君塚篁陵
喜多見行正
葛生桂雨
薩摩絃風
島田旭耕
須田春園
須田綱義
橘旭翁
高峰筑風
田村滔水
高杉檄水
辻野旭煌
豊田旭穣
永田錦心
永江鶴嶺
長友旭月
長島華水
能勢雅晴
馬場宏
英佳陽
花田旭游
肥後錦獅
福澤輝水
牧野錦光
牧野光双
水也田綠水
三田國粹
三好旭天
山口春水
山本鶴声
山崎旭正
吉田豊水
笠旭昇

編者より)本文中旧字を直し、わかり易く読み換えておりますが、全文どこでも地名人名その他誤り等にお気づきの段はご遠慮なくご指摘下さい。藤波白林

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