Category Archives: 最近琵琶発達史

[最近琵琶発達史] 第七章 永田君の所感を引いて(2)

錦心宗家の懸念 「なによりもまず第一に憂うべきは、演奏者そのものが音楽的教養に乏しく、思想が低級であって、しかも利害の打算、名利の争奪のみ没頭しつつあるという事である。教師について稍(やや)琵琶というものが解りかけたと思 […]

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[最近琵琶発達史] 第七章 永田君の所感を引いて(1)

危惧に瀕しつつある琵琶界  永田君は本年六月号の琵琶新聞紙上に「危惧に瀕しつつある琵琶界」と題して警鐘を乱打している。私の思うところと符合する点もあり、また少し悲観に傾きすぎているところもあるが、ここに私の所感もかき混ぜ […]

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最近琵琶発達史 小室汀月著 (大正11年)

大震災の前年に刊行された琵琶人名鑑の寄稿文です (現代語訳) テーマ一覧(目次)はこちらからご覧になれます

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[最近琵琶発達史] 第六章 錦心永田君と一水会(5)

錦心流弾奏家健闘の跡  須田晴園君は「錦心流弾奏家健闘の跡」と題して形容詞沢山の斯流の中心人物の評を「四弦」誌上に掲げている。まず、「六総伝の縦横活躍」というのから始める。

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[最近琵琶発達史] 第六章 錦心永田君と一水会(4)

 而してこれから先の記録の乏しいのには弱らされた。最近葛生君を訪ね「四弦」の主筆となった須田春園君(前から執筆していた)が、「大正何年史」として二-三年前から記録のいろいろを書いているくらいのもので、肝腎な大正十年間の記 […]

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[最近琵琶発達史] 第六章 錦心永田君と一水会(3)

一水会支部の始め  一水会の支部のそもそもの始めは横浜と千葉県東金町とであって、東金町支部へは永田君はちょっとしか行かず令弟直治君が教えに行った。先だって浅野晴水君の手で東金町在住の四人が水号になったが、これはその昔直治 […]

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[最近琵琶発達史] 第六章 錦心永田君と一水会(2)

一水会物の始め  松本玉浦という人の書いた「一水会物の始め」を読んでみると一水会の歴史がほぼわかる。

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[最近琵琶発達史] 第六章 錦心永田君と一水会(1)

 私は冒頭第一に錦心流の特色を挙げて誤りを伝える者の蒙を啓きたい(※1)と思っていた。しかるに葛生君の書いた「錦心流の特色」という一文を手にしたからここに転載する。曰く

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[最近琵琶発達史] 第五章 演芸界に立脚した高峰琵琶

高峰琵琶  私はここにその経路の異なった、そうしてかたくかたく演芸界に立脚(※1)している、言い換えれば演芸界独歩の高峰琵琶について叙述しよう。

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[最近琵琶発達史] 第四章 薩派ようやく陣容成る

薩派ようやく陣容成る  事実東都に先駆をなしたものは薩派であった。そしてさしも全盛を極めたのであったが、徒に群雄割拠のていたらくで過ごしたためにはなはだ萎靡不振(※1)の状態に陥った。しかしこれは橘流や錦心流の出現によっ […]

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